こんにちは、結和土地建物です。
今日は結城市上山川にある、国指定の史跡についてお話しさせてください!
・結城廃寺跡
こちらは、奈良時代(700年代前半)に建てられ、その後約700年間も続いたお寺だったそうです。
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/3335
民話で、「旧結城寺の由来」というものがあります。
結城市教育委員会が作成したもので、この民話にはこのお寺がどのような経緯で建てられたか
昔の鬼怒川には「龍」がいて、それが暴れると洪水が起こると皆さんは信じていた様です・・・。
ある時、お隣の栃木県に高名なお坊さんが来ていると知った村の方が、
野畑の洪水を治めて頂く様に、そのお坊さんに直訴をされました。
なんと、そのお坊さんは日本史でも登場する、遣唐使「鑑真和尚」の一番弟子の
「祚連律師(それんりっし)」という方でした。
村の方から頼まれた祚連律師は、一心にお祈りをして下さり、その甲斐あって
鬼怒川の水が溢れなくなりました。
村の方々は喜んで、祚連律師の為に小さなお堂を建てて、奉ったとの事です。
その後、鎌倉時代にお坊さんの学校「三戒壇」の一つとして「旧結城寺=大金釗宝寺」
と呼ばれるようになり、一時は2000人のお坊さんが出入りしていたのだとか。
そんなお寺も1441年に起きた「結城合戦」と呼ばれる戦いで焼き払われてしまった
様です。
それでも、焼き払われてから580年目・・・当時の瓦等が、現在も出土しているなんて、
当時の瓦は、現在の瓦よりも大きさ、重さが4~5倍もあったのだとか。
職人さんは腰を痛めながら頑張っていたのでしょうか(驚)
結城市がこれまで紡いできた「歴史」の一つを知る事が出来ましたが、興味深いです!
語ることのできる、「歴史」、「文化」のある結城の事を、より知っていきたくなります♪
ではでは、また宜しくお願いします!